0歳から楽しめる上五島の音楽のおまつり「かみごとう音フェス」の始まりは…【前編】
- しまの授乳室事務局
- 6月9日
- 読了時間: 3分
更新日:6月11日
生まれも育ちも上五島。小中学校は1クラスしかなく、所属する吹奏楽部は8名で活動していた。
当時「音楽は運動できない子がするもの」という風潮があり肩身が狭かった。大人から「人数が少なくてかわいそう」と言われ地元愛は持てず、多い方が楽しめるならと島外へ進学した。
アマチュアで吹奏楽やオーケストラなど数十人、時には100人規模で演奏していると楽しくて、気がついたら10年がたっていた!

それからいろいろあって、今は地元の上五島で二児の母。それがわたしです。(割愛しすぎ)
「音楽はなんて素敵なんだ。こんなに楽しくて、切なくて、終わるのが惜しくて、救いになる。一生楽器を吹いていたい」
と思っていたけれど、あれだけ情熱を注いでいた楽器や音楽が、子供中心の生活になると気がついたら遠い世界のものになってしまいました。
聴くのもそう。一般的なコンサートは、乳幼児は入場できません。チラシの「未就学児入場不可」で諦めて、開催地で諦めて、子供が大きくなったら行けるのかな…あと何年かなと、子が早く大きくなることを願う場面もありました。

あれ。これって中学生の頃の自分とあまり変わらないのでは…?
かつて「離島だから」と諦めていたあの感じ。
「音楽は運動できない子がするもの」「人数が少なくてかわいそう」と言う大人たち。
「音楽?子連れでは難しい」
「そういうイベントは子供が大きくなってから」
「都会なら赤ちゃんも行ける催しあるけど、ここはね…」
たしかに離島は不利な面もあるでしょう。さらに子供がいることで諦めることもあるでしょう。
でも本当にそれは諦めるしかないのでしょうか。どうにかできる方法がきっとあるのでは?
音楽はこんなに素敵なのだから、0歳から聞かせたいと願うことはいけませんか。
15歳の頃は、島の中でも外でも、どこに行くにも親に頼まなければ行けませんでした。車を出してもらわないと目的地に辿り着けないもどかしさがありました。
でも今の私は、諦めて島の外に希望を見出すしかなかった子供の頃よりも、随分図々しくなりました。
ないなら作ればいい。
できない理由を子どもと環境にしない。
かわいそうなんかじゃない。
この3つの信念っぽいものを掲げて、2024年の秋「音フェスの構想」が静かに燃え始めたのでした(後編はこちらから)
音にふれる 音とあそぶ かみごとう音フェス
↓音フェスの感想をぜひ教えてください!
…
2025.6.8(日)
約550名の、ちいさなお客さま〜大人の素敵なお客様が、ユニットNと上五島の楽器愛好家の案内とともに音楽の旅を満喫されました!
ユニットNのみなさん、上五島の楽器愛好家のみなさん、上五島神楽保存会さん。
素晴らしい音楽の贈り物をありがとうございました。
このイベントの開催のために、多数の新上五島町内外の企業、団体、個人の方々、新上五島町、新上五島町教育委員会をはじめとする、数え切れないほどの方々から応援していただきました。
誠にありがとうございました。
そして前日・当日のサポートスタッフの「しまの授乳室」の活動でご縁をいただいたみなさんと青方郷青年団「あおかもん」のみなさん。ビーストの皆さん。上五島高校吹奏楽部、中五島高校吹奏楽部の高校生、新上五島町ジュニア合唱団の5年生たち。上五島備蓄記念会館の技術スタッフの皆様。日頃からお世話になっている友人・知人。
魅力的なフードを出店してくださった、町内の飲食店の皆様。
そして、なにより開催までの道のりをともに駆け抜けてくださった「しまの音フェス実行委員会」のみなさん。
心からあつくあつく感謝申し上げます。
shimahaha様
メッセージをありがとうございます。しまの音フェス実行委員会 市川です。
どうか「情けない」なんて思われないでください。
なんでも潮時があって、私たちは「今がそれだった」だけなのです。
涙されるそのお気持ちに感激しています。
ブログ拝見して思わず涙してしまいました。まだ前編なのに…
できない理由と御託ばかり、行動の伴わない自分を情けなく思います。
とても、尊敬します。